こんにちは、みくろです。
今回は、目に見えない障害を一つのテーマとして、人が人を理解することの難しさ、そして美しさを描いた寺地はるなさんの代表作、「川のほとりに立つ者は」をご紹介いたします。
はじめに
早速ですが、皆さんに質問です。
「あなたは、隣にいる人のことをどれだけ知っていますか?」
そうなんです。意外と答えられないんです。
知っていたようで知らなかったことだらけ。
でも、それでいいんです。むしろ、それが普通なのかもしれません。
さぁ、それでは本書の学びに触れていきましょう。
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あらすじ
新型ウイルスが広まった2020年の夏。カフェの店長を務める29歳の清瀬は、恋人の松木とすれ違いが続いていた。原因は彼の「隠し事」のせいだ。そんなある日、松木が怪我をして意識を失い、病院に運ばれたという連絡を受ける。意識の回復を待つ間、彼の部屋を訪れた清瀬は3冊のノートを見つけた。そこにあったのは、子供のような拙い文字と、無数の手紙の下書きたち。清瀬は、松木とのすれ違いの“本当の理由”を知ることになり…。正しさに消されゆく声を丁寧に紡ぎ、誰かと共に生きる痛みとその先の希望を描いた物語。
[BOOK」データベースより
心に響いた言葉
「俺はもう嘘をつきたくない。いろんなことをごまかしながら生きていきたくない。あらためてそう感じたんや」
双葉社「川のほとりに立つ者は」より
明日がよい日でありますように。
シンプルやけどすごくいい言葉だと、俺らの意見は一致した。
自分の好きな人には幸せでいてほしい。その人の未来がいいものであってほしい。
なにも特別な言葉はつかってないのに、たしかに愛情を伝えられる言葉だと思った。
自分の大切な人に言いたいと思った。明日が、よい日でありますように。
双葉社「川のほとりに立つ者は」より
過去は消えないし、性格はきゅうに変えられない。でもこれからの行動なら変えられる。
双葉社「川のほとりに立つ者は」より
「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで」
「みんな眠い時はいいかげんになったり、お腹空いてる時はいらいらしたりするやん。諸々満たされてる時は他人に寛容になれたり、なにかに夢中になってる時は他人に無関心になったり」
双葉社「川のほとりに立つ者は」より
なにかを知るのに文字で読むのがいちばん頭に入るという人がいる。映像で見る方が覚えやすい人もいるし、音声のみのほうがよい、という人もいる。どのタイプが優れているというわけでもない。
動かせない決まりきったやりかたがあって、そこに人が合わせるしかないなんて本末転倒だ。
双葉社「川のほとりに立つ者は」より
「……わたしは今まで、誰のこともわかってなかったと思うんです。わかろうとしてこなかったんです。他人にたいして、『なんか理由があるのかもしれん』って想像する力が足りなくて……そのせいで、職場の人を傷つけたりもしたんです」
双葉社「川のほとりに立つ者は」より
街は変わっていく。人も。よい日でありますようにと切実に願っても、明日がどうなるか、誰にもわからない。わたしたちは「後悔しない今日を生きる」という厄介な課題を背負わされながら、同時に「簡単に答えを出せない問題に向き合い、待つ」という辛抱強さを要求される。
双葉社「川のほとりに立つ者は」より
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。でも清瀬は水底の石がそれぞれ違うことを知っている。川自身も知らない石が沈んでいることも。あるものは尖り、あるものはなめらかに丸く、またあるものは結晶を宿して淡く光る。人は石を様々な名で呼びわける。怒り。痛み。悲しみ。あるいは、希望。
双葉社「川のほとりに立つ者は」より
感想
今作の魅力を紹介するにあたって、隠された伏線が大きな鍵になります。
それは絶対に言えないので、僕の読後感を3つ綴ってみます。
「どんな物語が、こんな感想を抱かせるのだろう?」
そんなふわっとした疑問を持っていただけたら、嬉しい限りです。
正しさの物差し
人は生きていく中で、様々な性格や個性を持つ人と出会う。
いつも元気で笑顔が絶えない人だったり、静かに物事を見つめる不思議な空気感を纏った人だったり。
それは無限のグラデーションの中にあって、誰一人として同じ人はいない。
無限の人生と無限の思考、無限の選択肢と無限の正解があるということだ。
にもかかわらず、自分の考えや生き方は必ず正しいと思っている(思い込んでいる)人が、あまりに多い。
それはなぜか?
人は、自分の物差しで他人を測りすぎてしまうからだ。
何が正しいとか、何が間違っているとか。
そんなものは、あってないようなものなのにね。
無知の罪
人は、自分を正当化する為に、自分が満足する為に、どれだけ無自覚に人を傷つけているのだろう?
自分の当たり前は、他人にとって当たり前じゃないことなんてざらにある。
それなのに、
「どうしてあんな簡単なことができないんだ」
「どうしてこんなことがわからないんだ」
と自分の視座から勝手に人を評価する。それを偏見と呼ぶことも知らずに。
これは【無知の罪】だと僕は考えている。
見て欲しいことはそこじゃないんだ。
考えて欲しいことはそこじゃないんだ。
「なにか事情があるのかもしれない」
この「~かもしれない」と、想像力を働かせることがとても大事。
これはその人に対する敬意や愛情でもあるのだからね。
善意の押し売り
作中、最も心に刺さった一節を紹介しよう。
手を差し伸べられた人間はすべからく感謝し、他人の支援を、配慮を、素直に受け入れるべきだと決めつけていた。歪みを抱えた者はみな「改心」すべきだと。
勇気を出して差し伸べた手を振り払われた瞬間の痛いほどの恥ずかしさ、いたたまれなさ。でも実際のところ誰の手を選ぶかも手を取るタイミングも、その人自身が決めることなのだ。「せっかく助けてやっているのに」と相手の態度を非難することは、最初から手を差し出さないことよりも、ずっと卑しい。
双葉社「川のほとりに立つ者は」より
この言葉に触れた瞬間、ふと過去の自分を思い返した。
あの時差し伸べた手は、果たして本当に善意だけだっただろうか?
見返りを期待したり、優越感に浸ったりする気持ちが微塵もなかったと言い切れるだろうか?
答えは出なかった。
と同時に、即答の「YES」ではない時点で、それは「NO」であることに気が付いた。
そう。過去の自分にもそんな卑しさがあったんだ。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
人を理解することは、難しい。それは、血がつながった家族であってもそう。
だからこそ、理解できないこともあるということを受け入れた上で、理解しようとする心の持ち方が大事なんだと僕は思います。
善意を押し付けることをせず、ただ心に寄り添う。
それを受け入れるどうかは相手次第。それでいいんです。
「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない」
知り得ないからこそ、そこにある希望に出会う未来も存在するのかもしれませんね。
この厳しくも優しい作品を、ぜひ一度その手でお取りください。
僕がここまで内容をひた隠しにしてきた理由、そして何より今作の真の魅力がそこにあり、
心揺さぶられる物語に、感動と衝撃を覚える事を保証いたします。
お読みいただき、本当にありがとうございました^^
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