こんにちは、みくろです。
今回は、恩田陸さんのバレエ小説、「spring」をご紹介いたします。
(※少々ネタバレ含みますので、本書を0知識で読みたい方はご注意ください)
はじめに
ページの上をバレエダンサーが軽やかに駆け、跳び、舞い踊る。
そんな錯覚を覚えるほどの小説を読んだことがありますか?
「構想・執筆10年」という莫大な年月の上、恩田先生の魂と情熱がつぎ込まれた本作。
僕の中で最高峰の芸術小説が「蜜蜂と遠雷」でしたが、今作もそれに匹敵するほどの圧倒的な美しさでした。
それでは、早速感想を綴っていこうと思います。
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あらすじ
「俺は世界を戦慄せしめているか?」
(筑摩書房より)
自らの名に無数の季節を抱く無二の舞踊家にして振付家の萬春(よろず・はる)。
少年は八歳でバレエに出会い、十五歳で海を渡った。
同時代に巡り合う、踊る者 作る者 見る者 奏でる者――
それぞれの情熱がぶつかりあい、交錯する中で彼の肖像が浮かび上がっていく。
彼は求める。舞台の神を。憎しみと錯覚するほどに。
一人の天才をめぐる傑作長編小説。
心に響いた言葉
何を見てるんだ?
ぽかんと口を開いたまま、なかなかヤツが続きを言わなかったので、俺は薄れを切らし、少しイラついた声を出してしまった。
すると、ヤツはかすかに首をかしげて無邪気に答えた。
この世のカタチ、かな。
筑摩書房「spring」より
子供に絵を描かせると、興味があるものを大きく描く。他のものとのバランスなんか気にしない。実際、子供にはその大きさに見えているのだろう。
いつも驚くのは、月が綺麗だなと思って写真に撮ると、写真の中の月が自分が目視していたものよりも遥かに小さいことだ。周りの風景は自分が見ているものと同じ大きさなのに、月だけがめちゃめちゃ小さい。
人は見たいものだけを見て、興味があるものはおのずと強調している。
筑摩書房「spring」より
正統派を「かぶいた」もの。それが新たな世界を切り拓く。
筑摩書房「spring」より
教師という商売の不思議さを思う。
私も大学で英文学を教えているので、一応教師のはしくれではあるのだが、こちらは英文学を志してきた学生を相手にしているのに対し、まだ海のものとも山のものともつかね子供を見て、どう才能を見抜くのか。たまたま通りかかって彼を見つけたというつかさの引きの強さ、運のよさ(それは、春に対してもそっくりそのまま同じことが言えるのだが)に、驚嘆してしまう。
しかし、才能というのはそういうものなのだろう。あらゆる教師と弟子の世界では、しばしば嘘みたいな出会いのエピソードを聞く。図抜けた才能というものは、才能のほうが教師を呼ぶのだ。
筑摩書房「spring」より
「考えてもしょうがないよ。俺がやることはひとつだけ。ひたすら踊る」
その口調の軽さ、明るさに、また胸を衝かれる。
「そりゃそうだ。踊りに行くんだものな」
「うん。どこにいても、踊るだけだよ」
筑摩書房「spring」より
我々は、表と裏の双方から同じものを見ている。
情欲のなかの戦慄を。
殺戮のなかの官能を。
それらを併せ持つのが人間の性なのだ、ということを。
だから、音楽も、踊りも、やがては混じりあい、カオスとなる。
筑摩書房「spring」より
「理解してほしい」。これもまた、クリエイターにとっては厄介な欲求であり、問題だ。
賞賛イコール理解ではない、という歴然たる真実に、数々のクリエイターが悩まされ、苦しんできた。尼介なのは、「理解している」と思うのも、「理解されている」と思うのも、あくまで当人の主観でしかない、ということだ。「理解されたい」というこの欲求はなんだろう?単なるクリエイターの承認欲求なのか、ただのエゴなのか。
筑摩書房「spring」より
着地した刹那、胸の中心で、「カチッ」と何かが鳴った。
あの瞬間を、あの感覚を何と呼べばいいのだろう。
世界の扉が開かれた、とでもいうような。この世に存在することを許された、とでもいうような。
とにかく、全身で衝撃を受け止めたのだ。感激と、戦慄と、歓喜と、絶望がない交ぜになった衝撃を。
筑摩書房「spring」より
俺は世界を戦慄せしめているか?
筑摩書房「spring」より
感想
バレエの神に愛された男
「萬春という存在がバレエそのものである」
読了後、最初に浮かんだ感想がこれでした。
今作は、天才バレエダンサーであり振付師である萬春(よろず はる)を、4つの視点から描く物語。
最終章は、春本人視点で語られ、「天才とはこんなことを考えているのか」という衝撃と興奮にページをめくる手が止まりませんでした。
それと同時に、春のバレエの神に対する祈りにも似た愛情を目の当たりにした時、彼を「天才」という言葉で括ってしまうのはあまりに軽く感じてしまうほどでした。
天才とは
「天賦の才能を持つ者」のことを、人は「天才」と呼ぷことが多い。
それと同時に、「奇才」や「異才」といった言葉もあり、才能は多岐にわたるようにも見えます。
本作の主人公である春はどの「才」にあたるのか、読み進めながら考えてみるのも一つの楽しみ方ですね。
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あくまで私個人の考えですが、誤解を恐れずに言えば天才とはどこか変わり者、よく言えば個性的という扱いをされがちです。
見ている景色、感じている感覚等、世間一般の人とは異なるのだとすれば、それは至極当然かもしれません。
ただ、その才を生かすも殺すも本人次第…いや、それ以上に周囲の環境次第ではないかなとも思います。
春の場合は、その環境が奇跡的に恵まれていました。
少々ネタバレになってしまうのですが、家族で川辺を散歩していた時、ふいに踊り出した春をバレエ講師のつかさが偶然見かけたことが全ての始まり。
作中、そんな奇跡の解釈に更なる深みを与える一節がありました。
あらゆる教師と弟子の世界では、しばしば嘘みたいな出会いのエピソードを聞く。図抜けた才能というものは、才能のほうが教師を呼ぶのだ。
筑摩書房「spring」より
春とバレエとの出会いは、“偶然という名の必然“だったのでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
- 音楽を題材にした「蜜蜂と遠雷」
- バレエを題材にした「spring」
芸術に疎い僕ですが、どちらものめり込むようにして物語を楽しむことができました。
比較するのであれば、「蜜蜂と遠雷」の方がイメージがしやすかったように思えます。
音楽とバレエでは、音楽の方がCM等で触れる機会も多く、日常生活に近いイメージだからかもしれません。
また、「登場人物が同じコンテストに参加に競い合う」という展開も、知識が薄い読者でも楽しめる要素の一つかと思います。
その反面、「spring」はバレエ知識0の方には物語への没入には時間を要しますが、「バレエについて1から調べられる」というメリットもあります。言うなれば、「バレエという芸術への扉」。
自分で調べるからこそ、物語の理解度や深みも増します。バレエに精通している方はもちろん、そうでない方もこういった側面から間違いなく楽しめる一作となっています。
ぜひご一読ください。
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